2017/12/04

15年

小学6年生の春休みに、父が家族旅行につれていってくれました。


小学2年生から、母と父の仲は険悪で、
母は今思うとノイローゼやった。
当時父が撮った8ミリビデオを見ると、
父は私の名前ばっかり呼ぶし、
母は振り向きもしない。
夫婦仲はもう既に最悪な状態やったんやなぁと
今ならわかる。


春休みの旅行から帰ってくると、高級ゴミ部屋やった母の部屋がすっからかんになってて、



ブランドバッグやらブランド服やら、
そのなかに埋もれてた札束と一緒に、
母が消えてました。



12才の私は悲しくないふりをして、
なに食わぬ様子で過ごしてたけど
ほんまはすごく怒ってた。



それから15才で父が開頭手術をして、
20歳で両親の離婚が法的に成立して、
23才で父が倒れて右半身不随になりました。



留学から帰ってきて、
急いで仕事を探して韓国系の鉄鋼商社に就職させてもらって、



就職から3年経った、26才でやっと始めて母を旅行に誘って鳥羽に行きました。
いつも物陰に隠れて私を見てた母と二人での旅行。
いつも外で立ってる母しかみてなかったから、
母がベッドで横になってる姿がものすごい違和感やったのと、
一緒にお風呂に入った時、20年ぶりくらいに見る母の背中があまりにしぼんでて、




あぁ時が経ったんやと26才の私は思った。




15年もかかった。



なんで母はそばに居てくれへんかったんやろうと。
なんで私に何度も手をあげたんやろうと、
何度も何度も泣いた。



でも、今私が子を産んで、
毎日毎日家の中でこの子に向き合って、
私が死んでもこの子には生きててほしいと
この子の幸せだけを願ってると、



私もいっぱい愛された子やったんやなぁと
思って。



子を産むと色んな事が理屈じゃなくわかるようになるんですね。
今やっと私は人間になった気がしてて、
やっと母を理解出来た気がします。



壮絶やったけど、
今となれば痛くも痒くもなくて、
ただただ経験値が増えてよかったと思うし、


あとは、



今も母が生きててくれて良かったって、思います。



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